【運動経験ゼロの人間がジョギングの習慣を身につける】番外編:私がジョギングしようと思った経緯

ユル風味の話題

本シリーズでは、運動親和性ゼロの人間が運動(ジョギング)習慣を身に着けるためにどうしたか、というのを書いている。(これまでの記事はこちら⇒①、②、③、④)
今回はこれまでの流れを少し外れて、そもそもなんで、運動経験値ゼロの自分がジョギングを始めるに至ったかという話だ。個人的な経験談である。

運動忌避の考えに変化が

私がジョギングを始めたのは、33歳の誕生日を迎えた頃である。
私はずっと運動嫌いだったし、運動神経は壊滅的に悪い。
それまでの人生で一切まったく運動なんかしてこず、能動的にスポーツに取り組んだ経験もなかった自分が、ジョギングを始めるという行動に及ぶまでには、いくつかの段階があった。

若い頃は、「健康のために運動なんてバカバカしい」と思っていた。そんな苦行を無理矢理やって我慢ばかりの日々を送ったのでは、たとえ健康が手に入ったとしても、そんなの幸せでも何でもないじゃないかと思っていた。
周りを見渡せば、家の近所をランニングしている人とか、ジムのマシーンで走っている人とかをよく見かけるけれど、それに対する正直な感想は、「ご苦労なことですな」みたいな感じであり、何を好き好んで、そんな苦行に時間を費やしているのだろうという見方をしていた。よほど好きなんだろうなあと。

考え方が変わったのは、子供が生まれたことも大きいと思う。
31歳のときに、初めての子供である長男を出産した。
私は、子供を養育する立場になった。小さくて非力で何もできない生き物を、時間をかけて少しずつ育て上げ、社会の中で一人で生きていけるようになるまで面倒見なければならないという責任を負ったのである。
そうすると、自分の健康を損なうということが、子どもの幸福にも直結する問題になってくる。
私が若いうちに病気をしたら、子供は困るだろう。あるいは歳を取って、体を壊して寝たきりになったりすると、子供に迷惑をかけるかもしれない。
自分の将来に関する感覚がこれまでとは変わったということである。

健診でショック…

そんな土台ができていた中で、実際に運動しよう、と思った直接の動機は、検診で骨密度が低かったということだった。
職場の規定で毎年受診している婦人科検診には、骨密度の検査というのがあった。
33歳になる直前の検査結果には、こう書いてあった。

・あなたのOSI(※)は、~~~です。
・これは、あなたと同じ年齢のOSIと比較して、86%に相当します。
・あなたのOSIは、若年成人の平均の値と比べ、やや低下しています。栄養指導や運動指導を受けましょう。
 ※OSIとは、音響的骨評価値のことで、骨強度を評価する指標である。

そして、自分のOSIはグラフにプロットしてあって、その点は、黄色に塗られた「要注意」っぽい領域の中にあった。
まだ30代になったばかりなのに、すでに骨量が要注意領域まで低下しているのである。

私はそれを見て考え込んだ。

今の時点で骨密度が低いということは、将来、骨粗鬆症を発症し、ちょっとしたことで骨折して、寝たきりになるのではないか?

そりゃまあ、これまでの人生でまったく運動もしてこなかったのだから、骨密度が低いことも不思議ではなく、いわば自業自得というか、当然の帰結と言うべきなのであるが、いざこういう形で突きつけられてみると、そのときには、ひどく不安な将来を予感させるもののように見えた。

頭をよぎるロコモ的な未来

筋力もなく、骨も弱い・・・。
そんな人間が歳を取って、どうなるか。
「ロコモ」とか「フレイル」とか「サルコペニア」とかの横文字が、次々と頭に浮かんだ。
ちょっとつまずいた拍子に骨折。
足がもつれて転倒。
寝たきり。要介護。
自分の足で歩けなくなる人生。
なんだかそんな画像がドーッと頭の中に押し寄せてきて、「これがお前の未来だ」といわれているみたいだった。

このままではいけない、と私は思った。

もう一つ、背中を押したものがあった。
このところ、太ってきたな・・・と思っていたことだった。
長男が1歳を迎え、授乳を終えてから数ヶ月。前より太ってきた気がしていた。
こっちはこっちで、このまま放置すると、将来というより、今この瞬間にまずそうだ。

私は思った。「運動しよう。」

例えるなら、「そうだ京都行こう」みたいなノリでそう思った。

もちろん、この思考経過に対しては、ツッコミがあると思う。
運動したからって骨密度増えないだろ。ということである。
私もそれを理解してなかったわけではない。

ただ、正確に説明すると、骨密度の問題はきっかけであり、運動しようと思った動機自体は、「歳を取ってロコモやフレイルのような状態になるのを避けたい」「そのために身体機能を維持したい」ということであった。
自分に運動習慣がなく、骨も筋肉も脆弱であるという自覚があった。そのまま歳を取ったのでは危うい。
今、対処しなければという危機意識だった。

1駅ウォーキングを試みる

実を言うと、最初から走ろうと思ったわけではない。運動嫌いで体力もない自分が、いきなりそんなことできるわけないというのは、よくよく承知していた。

そこで、しばしば試みられるやり方をまず実行した。
「帰りに1駅分歩く」というやつだ。

1つ手前の駅で降りて歩くと、最寄り駅まで30分ほどかかる。いいウォーキングになると思った。歩くだけなら、さほど苦痛も感じない。

1ヶ月間、「1駅ウォーキング」を実行した。
確かに、歩くこと自体は苦ではなかったが、途中の経路はあまり歩きやすい道とは言えず、環境面では少々ストレスだった。

そして、1ヶ月やってみても、これといった体の変化も感じなかった。
もちろん、体重も減らない。

どうも、あまりいい方法ではなさそうだ、と思えてきた。
1駅ウォーキングは、時間がかかってダルいわりには、運動した実感があまりなく、非効率に思えた。
ただでさえ、仕事と育児に追われていて忙しい。あまり効果のないことに時間は使えない。

——やっぱり、走ったほうがいいんじゃないか?

結論:走るべし

こうして、ウォーキングよりもっと強度の高い運動をすべきではないかという考えに至った。

私は、気が短くて、我慢強くないタチだ。
どうせならもっと、「やった感」をハッキリ実感できる取組のほうがいいと思った。

ジョギングをしようと思ったのはそういういきさつだった。

それまで、運動しようなんて発想まったく持つことがなかったのに、人間の考えって変わるものだ。
誰にでも、何かそういうタイミングというのがあるんじゃないかと思う。天の声みたいなものだ。
思ったときが始めどきだということだろう。

この記事を読んでくれたそこのあなたも、これが何かのご縁かもしれません。今が始めどきだと思って、やってみませんか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました