【運動経験値ゼロの人間がジョギングの習慣を身につける】④運動を続けるモチベーション

ユル風味の話題

<前回から続く>

本シリーズでは、運動親和性ゼロの人間が運動(ジョギング)習慣を身に着けるためにどうしたか、というのを書いている。
今回は、運動を習慣化するためのモチベーションをどこに置くか、ということについての記事だ。

やりたくない⇒惰性でできるようにしよう

この原稿は、「運動は苦痛、面倒」「できればやりたくない」という認識を前提としている。
だから、面倒で苦痛な運動を毎日継続するためのモチベーションをどこに置くかが問題だ。

私もそうだが、「運動しよう」と思う動機の多くは、「健康のため」ではないだろうか。
でも、ここでいう「健康」は、きわめて漠然としている。
私の場合、歳を取ったときに筋力が落ちて歩けなくなるとか、ささいなことで寝たきりになるという事態を防ぎたいという思いが芽生え、「年齢を重ねても、自分の足で元気に歩いていたい」と考えたことが、運動しようと思った理由だ。
しかし、そんなのは、今ここで、数日やそこらですぐに成果が目に見えるようなものではない。
高齢になったときに思うように動けているかなんて、何十年も後にしか分からない。
しかも、ジョギング習慣がそのことにどれだけ寄与したのかは、検証のしようもないのだ。
今日、今ここで、面倒な運動に出かけていくためのモチベーションとしては弱すぎる。

だからこそ、「習慣化」が解決策だと私は考えている。
習慣化された行為は、実行するたびにいちいちモチベーションを喚起する必要がない。行為の成果を逐一気にすることもない。
いい意味で、惰性によって実行できるのである。

1週間歯磨きしたからといって、即座に虫歯予防の成果が見えるというものではないが、それでも多くの人は歯磨きを続けられるはずである。ある意味惰性でやっているその行為が、長期的に口腔内の健康に資するということなのだ。
「健康のためにする運動」も、そういうものではないだろうか。

習慣化までの道のりで、何をモチベーションに置くのか

それでは、習慣化が成功するまでの間、壁を越えるまでの間に、嫌で仕方ない運動をどういう気持ちで続けるのか。

モチベーションの喚起方法は個人によってさまざまだと思うが、私は、「継続することそのもの」を目的・動機にするのがいいのではないかと考えている。

「今日、私は走ることができた」「あんなに嫌いだった運動を○日間も続けることができた」
私自身はそういうモチベーションで習慣化までの道のりを進んでいたと思う。

何しろ自分は運動経験ゼロ、運動偏差値最底辺、ほんの1km走ることにだって困難を生じて、ソファで寝転んでいたい人間なのである。
それが何日もの間、4km走るというミッションを達成し続けることができた。
その喜びと誇らしさは計り知れない。

思えば、子どものころの日々は、「昨日までできなかったことが、今日できるようになった」という体験に満ちていた。自転車の補助輪が外せた。逆上がりに成功した。二重跳びが10回できた。
それは、「できたこと」自体が成果であり、「逆上がりができたことで何の効果を得たのか」などという問いを伴っていない。
子どものころの純粋な喜びである「できなかったことができた」「初めてできた」「今日もできた。何度もできた」という気持ちは、大人の我々にとっても、色あせない喜びになり得るのだ。

ジョギングを始めたころ、「今日走った結果、何がどうなった」などという成果を気にしなかった。
ただ、「今日も走れた。自分はできた」ということが大きな達成感をもたらした。

「実行すること、継続することそのものを目標にする」と聞くと、陳腐で無意味に感じるかもしれない。
でもそれはシンプルで短絡的な動機である分、外部要因に左右されない。自己完結できる動機なのだ。

ジョギングによって、「体重を減らす」「○○の数値を正常化する」などの客観的な効果・成果を動機あるいは目標にしてしまうと、それらは努力したからといって必ずしも達成できるとは限らず、目に見える成果が出ないときにすぐに嫌気が差してしまう。
そうであれば、「継続すること」自体を目標に置き、「実行できた」こと自体を達成感として手に入れる方が、モチベーションを支えやすいと思っている。

<次回へ続く>

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