学生時代を京都で過ごしたので、ときどき、奈良にも足を伸ばすことがあった。
京都駅から奈良駅まで近鉄に乗って行くと、近鉄京都線と奈良線の接続駅である「大和西大寺」の少し先のあたりで、車窓にだだっ広い空き地と、「平城宮跡」という文字の書かれた石碑が目に入る。
何やら昔っぽい雰囲気の門があるのだが、それ以外には何もなく、ただ、ひたすら広いだけの空き地である。
「ああ、これが奈良の都、平城京の遺跡なのか…」と理解はするものの、
申し訳程度に門が立っている以外は、本当に何もないのである。
下車して観光しよう、と思ったこともなかった。
「平城宮跡」の印象は、そういうものだった。実際、当時(平成20年くらい)はそのようにいうしかない状態だったのである。
〇「平城宮跡」の大変貌
しかし、今、その「何もない」印象の平城宮跡は、大変貌を遂げている。
平成20年(2008年)に、平城宮跡を国営公園として整備することが閣議決定され、公園整備に関する基本計画が策定されて以降、
平城宮跡では国営公園の整備事業として、過去の建物の復元工事や展示施設の整備などが次々と進められてきており、
かつての「何もないだだっ広い空き地」から、非常に充実した見学施設へと大きく姿を変えつつあるのだ。
平成30年(2018年)には「平城宮跡歴史公園」が開園した。
エントランス付近の交流用広場や展示施設を含む「朱雀門ひろば」などがオープンし、
来訪者が当時の平城宮の姿をイメージできるような空間ができあがった。
公園の整備事業は、現在も続けられている。
その中心にあるのは、平城京において重要な国家的儀式が行われていた一連の建物「第一次大極殿跡」の復原事業である。
つまり、平城宮跡は、核となる施設がオープンした後も、建物の復原工事などが引き続き行われ、今後ますます発展・充実していく途上にあるというわけだ。
近年のこのような動きを踏まえれば、平城宮跡は、「今まさに行くべき」ホットな歴史スポットと言って間違いない。
私は先日、大型連休中にここを訪問したのだが、施設の充実度に比して、訪問客の数は必ずしも多いわけではないと感じた。
昨今、大阪や京都の主要観光地はオーバーツーリズムで、奈良においても奈良公園などが観光客でごった返す中、
早晩、この場所ももっと多くの観光客で賑わうことになるだろう。
であれば、まだ整備が終わっていない今こそ、訪問すべき絶好のタイミング。
奈良の観光キャンペーンのキャッチフレーズは「いざいざ奈良」であるが、
まさに今、「いざいざ平城宮」である。
私自身、平城宮跡に「何もない野っ原」というイメージを抱いていた者として、その認識が大幅にアップデートされたので、
ぜひ全国の皆様にもお伝えすべく、平城宮跡を訪問した時のことを以下でご紹介したい。
〇平城宮跡歴史公園とは
平城京は、ご存じの通り、唐の長安をモデルとして造営され、710年に完成した都であり、ここに都が置かれていた時代が奈良時代と呼ばれる。
平城京の中心にあったのが、儀式を行う場や天皇の住まい、官公庁などが置かれた「平城宮」である。
東西・南北それぞれ1km以上にわたる範囲が遺跡として保存され、「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産にも登録されている。
前述の通り、その平城宮跡に、平成30年、「平城宮跡歴史公園」がオープンした。
とはいっても、「平城宮歴史公園」は、入場料がかからず、完全に出入り自由の場所である。
(ふつう、国営公園は入場料がかかるし、ゲートで入退場を管理されているが、ここは違っている)
現在でも、広大な敷地の多くは何もない野っ原なので、周辺のどこからでも気ままに出入りできるようになっている。


実際、単に通り抜けのために通行しているとおぼしき自転車や、ジョギングや散歩を楽しむ人など、
近隣の住民には普通の公園として使われている雰囲気であった。実にのどかである。
平城宮跡歴史公園の見学のメインになるのは、大きく分けて、南側の「朱雀門ひろば」周辺のエリアと、北側の「第一次大極殿院」エリアである。

〇「朱雀門ひろば」エリア
「朱雀門ひろば」は、復原された「朱雀門」を中心とするエリア。平城宮歴史公園のエントランスに該当する。
朱雀門はご存じの通り、平城宮の正門であり、そこから南へ向かって平城京のメインストリート「朱雀大路」が伸びていた。
朱雀門自体は平成10年の時点で復原されており、私がよく近鉄の車窓から見ていたのはこれである。

その後、朱雀門周辺には、来訪者が集まれる広場や、「平城宮いざない館」という展示施設、そして観光交流施設(天平つどい館、天平みはらし館、天平うまし館、天平みつき館)が整備された。
平城宮跡を観光する際の拠点となるエリアであり、多くの来訪者がこのエリアに集まっている。
私が訪れた日は、晴れて天気がよかったので、フリースペースにはキッチンカーなども出店しており、芝生のゾーンではシートを敷いてくつろいだり、バドミントンなどをして遊ぶ来訪者の姿も見られた。
・平城宮いざない館
中でも、展示施設である「平城宮いざない館」は、堅苦しい解説というよりは、平城宮の当時のありようを身近に感じられるよう、体験コーナーなども交えて工夫を凝らした展示をしようとする方向性が感じられ、飽きずに楽しめる内容だった。
平城宮跡を訪れた際にはマストで訪問したい施設だ。
入館は無料だから、所要時間にあわせて、サクっと見てもじっくり見てもいいと思う。


様々な角度から、平城宮の当時の姿を体感できるよう工夫された施設である。
通常の資料館のように、平城宮跡の出土品等が展示され、発掘調査や研究から明らかになった事実が記載されているというコーナーに加え、
大規模な復元模型や大型映像などにより、視覚的に平城京の様子が分かるようになっている展示室や、
当時の生活・技術などを紹介する体験コーナーもある。


館内では、たとえば、大極殿の復元にあたり制作された1/5サイズの模型も見ることができ、
体験コーナーでは木材を実際に触りながら古代建築の組物を学ぶことができる。


当時の宮廷での服装や食卓の様子を再現した人形などもあるし、古代衣装を実際に着用できるコーナーもある。


個人的につい見てしまったのは、平城宮に勤務する役人たちの仕事や役職、年収や宅地の広さなどを紹介したパネル。
同じサラリーマンとして、妙にリアルである。


複数ある展示室をつなぐ渡り廊下では、連休に合わせてイベントが開催されており、
古代のボードゲームである「かりうち」という遊びを体験することができた。
担当スタッフがルールや遊び方を丁寧に指導してくれて、夫と長男は一緒に楽しく対戦していた。
すごろくのようなもので、ルールは難しくないが、なかなか奥が深そうである。

このような施設なので、歴史好きの方はもちろん、難しいことはあまりわからないというお子さんでも、それぞれの年齢や知識の度合いにあわせて楽しむことができる施設である。



朱雀門ひろばには、そのほか、以下のような施設などもあり、観光に役立つ機能がこのエリアに集まっている。
・天平うまし館:名前の通り、レストランやカフェ、土産物屋がある建物。さらに、屋外には復原された遣唐使船の模型が展示してあり、奈良時代の雰囲気を感じられる。
・天平みつき館:いわゆる観光案内所。休憩にも使える
・天平みはらし館:これも名前の通り展望所があったり、レンタサイクルの受付があったりする

〇第一次大極殿エリア
第一次大極殿院エリアは、上述の通り、古代の建物の復元作業が未だ進行中のエリアだ。
訪問の時点(令和8年5月)において、第一次大極殿、大極門、東楼が完成しており、西楼が復元作業中である。

大極殿院とは、天皇の即位式など国家的な行事の際に使用されていた施設である。ひと目で奈良時代を感じさせる、風格のある厳粛な姿をしている。

「第一次」とついているのは、奈良時代の前半に使われていたからである。
平城京から別の場所へ一時的に遷都された後、再び平城京に都が戻ってきたときには、第一次大極殿院の東側に大極殿が新設された。
これが「第二次大極殿院」であり、奈良時代後半にはこちらが使われていたことになる。
第二次大極殿院の跡は、現在、基壇のみ復元されている。
大極殿は、中に入って見学することができる。
遠目に見ても目立つような堂々たる巨大建築であり、正面からその姿を見ると、朱塗りの柱が力強くずらりと並び、屋根瓦の上には金色に輝く飾りと、両端につけられた鴟尾。
さすが国家の威信を背負っている建物だなあという感想である。
内部の見学は裏側から入場する。順路表示に従って歩いて行こう。


中に入ると、天井の高さが圧倒的で、あらためて建物の巨大さを実感する。中央には、天皇が着座する玉座である「高御座」がもうけられている。何もしなくても厳粛な気持ちになる空間である。


大極殿の復元された建物は、平城宮跡のもっとも北側にある。
朱雀門から行くと、大極門を経由してまっすぐ北に向かい、行き着いた先が大極殿という位置関係だが、
朱雀門と大極殿は直線距離でも800m近く離れており、徒歩だとかなり歩くことになる。


〇そのほかにも見どころがある…のだが…
以上のように、朱雀門周辺と第一次大極殿院のエリアが平城宮跡見学のベースになると考えられるが、公園内にはほかにもたくさんの見どころがある。
例えば、ご紹介した平城宮いざない館のほかにも、「平城宮跡資料館」「復元事業情報館」「遺構展示館」という展示施設が広い園内に散らばって所在している。
そして上述したとおり、第二次大極殿については、基壇が復元されている状況である。
さらに、公園の東側には、東に向かって平城宮の敷地が張り出した部分があり、
そこには「東院庭園」と呼ばれる施設がある。天皇が宴会などを催していた場所らしく、庭園の池や橋、建物などが復元されている。
しかしながら、すでに書いたとおり、平城宮跡の敷地は東西・南北それぞれ1km以上にわたっており、とにかく広大である。
私たちが訪問した際は、近鉄の大和西大寺から歩き、平城宮跡の西の端から入ったのだが、
大極殿院のあるエリアに行くだけでもけっこう歩いたし、そこから朱雀門ひろばまで歩くのもまた、なかなか遠い道のりだった。
ましてや、東の端の「東院庭園」などは、見たい気持ちはあったものの、とてもそこまで歩いて行く気力が続かず、見学を断念した。
西側から入ってすぐのところにある「平城宮跡資料館」で園内のスタンプラリーの台紙をもらったのだが、
見てみると、「こんなん全部歩いて回れるかい!」と言いたくなるほど対象地点が広域にわたっているので、
完成させるのはマジで無理だった。

平城宮跡の注意点——それは、「広すぎる」ことである
園内の見どころをあちこち行って回ろうとすれば、何キロにもわたり歩かなければならない。
さらに、平城宮跡は大半がただのだだっ広い野原なのであるから、敷地の多くは遮るものもなく、暑い日には直接日光にさらされるので、きわめて過酷な状況になりかねない。
歩き続けて見学しながら私は思った。「自転車を借りればよかった…」
園内にはあちこちに自転車置き場が設置されており、レンタサイクル等で見学して回ることを想定しているようだ。
園内では車などの移動手段もない以上、最適なのは自転車を借りて移動することではないだろうか。

実際、後で調べてみると、平城宮席歴史公園のWEBサイトにも、以下のように書いてあるところである。
平城宮跡歴史公園は約122ha。その広さはUSJの約2.5倍という広大な空間です。園内は高低差もないため、点在する建造物めぐりにはレンタサイクルが便利です。
平城宮跡歴史公園の敷地内では、「天平みはらし館」にてレンタサイクルを借りることができるようだ。
ただ、そもそも平城宮跡歴史公園は、駅から徒歩20分かかる場所にあり、
電車で来訪する場合は、その敷地にいたるまでの時点でかなり歩く必要がある。
さらに言えば、この近辺には他にも薬師寺、唐招提寺といった、世界遺産になっている観光スポットが所在しているが、平城宮跡とそれら寺院は、「歩くには遠い、バスは不便」という超ビミョーな位置関係にある。
そのため、特に周辺観光もあわせて楽しもうとお考えの方は、駅周辺でレンタサイクルを借りて移動されるのがもっとも合理的なのではないかと思う(詳細はこちら)。
特にこの先、暑くなる季節には、だだっ広い野原である平城宮跡を歩いて回るのは体力の消耗が激しい。
移動手段についてはあらかじめよく検討されることをオススメする。
〇まとめ
奈良の観光といえば、やはり奈良公園周辺がメインというイメージの方が多いのではないか。
天然記念物のシカにせんべいをやり、東大寺で巨大な大仏を見て「おお~」と言い、春日大社にお参りして、若草山で休憩して・・・。
観光ガイドを見ても、やはり巻頭で押し出されているのは奈良公園近辺のエリアだし、
その陰で、平城宮跡というのは、なんとなく、影が薄く、申し訳程度に触れられているような・・・そういうコンテンツに見えてしまったりする。
しかし、ここは、「いにしえの奈良の都」をもっともダイレクトに感じられる場所なのだ。
そして上述の通り、復元事業が伸展し、次々と当時の姿を再現した建物が現れてくる平城宮跡は、今後ますます見逃せないスポットになっていくこと間違いなしだ。
そういうわけで、いざいざ平城宮。今度の奈良旅行には、必ずや平城宮跡への訪問を組み込もう。
ただし、自転車を活用することをくれぐれもお忘れなく!






おまけ:近鉄と平城宮跡の関係
余談だが、下記マップ(上に貼ったものと同じ)を見てもおわかりの通り、
平城宮跡には、なんと、敷地内をぶった切るように横断して近鉄の線路が走っている。

朱雀門から第一次大極殿に向かえば、途中で近鉄の踏切を渡ることになるのである。
初めて行ったら、「何じゃこりゃ!?」と思うに違いない。歴史的遺跡の中ですよと。
平城宮跡は、都が長岡京に移ったあとは廃れ、長らくただの田畑になっていた。
明治の末頃に保存運動が始まり、一部が国の史跡に指定されたのは1922年。
近鉄奈良線の開業はそれより前なのだ。
当時も遺跡の存在は意識されていたようで、目に見える遺構がある区画は避けて線路が引かれたようだが、
そうは言っても、仮に現代であれば絶対に実現しない事業であり、まあ要するに、先にやったもん勝ちである。
報道によれば、遺跡を横切っている部分の線路については、近鉄と県、市の間で、将来的に移設することが合意されているという。この記事によれば2060年の完成を目指すそうだ。
まだまだ先の話であるが、遺跡を横断する線路という珍しい光景も、この先消えゆく運命にあるというわけだ。



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