高市さんが総理大臣になり、日本に初めて女性総理が誕生したことは、同じ女性としてとても嬉しい。
私は高市さんの考えや主張に賛同してはいないのだが、
それでも素直に、「ああ、ついに女性総理が誕生した、嬉しい。おめでとう」と思う。
それは思想がどうとか政治的立場がどうとかいうことよりも、もっと原始的な気持ちで、
例えるなら同郷人が世界で活躍していることが素朴に嬉しい、応援したいという感覚のようなものだ。
岩手のひとがみんなで大谷翔平を応援するような、そんな感じ。
フェミニストという立場をとる人たちの中には、高市総理誕生を喜ばないという声もあるようだ。
高市さんの考えや政治的立場が、フェミニストのそれとは相いれない部分が多いということなのだろう。
でも、それってちょっと寂しい話ではないだろうか?
だってそれは、「女性の地位と権利の向上」を訴えておきながら、
「女性」を、「フェミニストの眼鏡にかなう望ましい女性」と、「フェミニストに敵対する望ましくない女性」に分類・分断してることになるじゃないか。
そして「望ましくない女性」を排除していることになるじゃないか。
女性は女性だ。
女を応援しない女も、男に取り入る女も、男に媚びる女も、女を毛嫌いする女も、みんな女だ。
——私たちみんな女じゃないんですか?
私はなんだかションボリしてしまう。
男性たちが多様であるように、女性たちも多様だ。
リベラルな人もいれば、右翼バリバリの人も、「中身はオッサン」みたいな女性もいるだろう。
でもみんなが等しく「女性である」ということをよすがに、私たちは連帯できる可能性があるってことじゃなかったのだろうか。
立場の違いや考え方の違いを越えて、「私たちみんな、おんなじ女じゃないか」って言えるのでない限り、
フェミニズムなんて存在できないのではないだろうか?
そりゃ、色々な女がいるでしょうよ。
あなたみたいな人、私嫌いよ。ってこと、あるでしょうよ。
でも私たち、みんな女じゃないか。
もしかしたら、高市総理によって私たち女の暮らしは、よくならないかもしれない。
でも、彼女はやっぱり女性という意味で、私の仲間なのだ。
だから、例え彼女が私の敵であったとしても、それはそれで、頑張ってほしいと素直に思う。
政策の良し悪しは、それはまた別の問題なのだ。



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