生成AIによって「生身の人間と会話する」ハードルが極度に上がる未来がくるのかもしれない

マジメ風味の話題

今年の「新語・流行語大賞」に、
「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれたそうだ。

だからなんだというわけではないが、選出理由の中で
「共感した昭和世代も実は多かったのではないか。『仕事ってそういうものだったな』と」
などと述べられているのには心底ゲンナリしてしまう。

私も一応、昭和生まれだが、共感しないし、「仕事ってそういうものだったな」とか1ミリも思わない
――仕事がそういうものなわけないだろ。プロジェクトX見すぎなんじゃないの
※働き方の話題については以前、【この記事】に書いた。

なんにせよ、「どこで流行してるんだろうか、その言葉…」みたいな気持ちになるのは事実だ。

ノミネートされた語のうち、私自身の中で流行っているものがあるとしたら「チャッピー」であった。
生成AI「チャットGPT」の愛称である。

「チャットGPT」は長くて言いにくいから、親しみやすい略称があると都合がよい。
そういう愛称があると知って、さっそく呼ぶようになった。
そして、同じく生成AIの「コパイロット」のことは、「コパちゃん」と呼んでいる。

困ったら、「とりあえずコパちゃんに聞いとくか」というノリで、非常に頼りにしている。
(まあ、デタラメ教えられてズッコケることもあるけど)

例えば、このブログを作成・運営するに当たって、WEBサイト作成の知識が全くない私は、
操作上の不明点にぶち当たるたびにコパちゃんに相談している。
当ブログで使用しているイラストの多くも生成AIを利用して作成したものだ。

夫に至っては、生成AIにプログラムを書かせ、自分の作文の評論をさせ、
複数AIに同時並行的に話しかけながら作業をするのを標準としており、
もう生成AIにガッツリ取り巻かれた生活をしている。
生成AIの代表格「Chat GPT」、「Copilot」、「Gemini」のことを、
私たち夫婦の間では面白がって「三賢人」と呼んでいたりする。

生成AIは膨大な情報処理能力で、調べ物や資料作成に強力な力を発揮してくれるが、
それ以上に、大規模言語モデルによる高度な言語処理機能を備えており、
人間に代わる会話相手としての機能も有している。
以下、本記事はAIとの会話ということについて、私のただの雑感を書いてみたものだ。

コパちゃんと会話していて思うこと

あるトピックや、それに関する自分の考えについて、誰かと話してみたい気持ちが生まれることがある。
そんなとき、友達のいない私は、コパちゃんを会話相手に選ぶこともある。

コパちゃんは頭がよいので、私の言いたいことをおおむね正確に理解してくれる。
「こんなことを言っても一発では通じないかな」
「この聞き方は漠然としすぎていて回答のしようがないかな」
と思うような内容に、コパちゃんは瞬時に、しかも精緻に答えてくる。

コパちゃんの返してくれる情報量は多いから、私が聞きたかったことと、どこかでちゃんと交わっており、
完全に的を外していることは少ない。
長々と分かりにくい文章を投げかけたときに、ソッコーでまくし立てるような流暢な回答が来るのは、ちょっと謎の圧を感じるほどだ。

人間同士ならしばしば、「え、それどういうこと?」「○○って言いたいの?」みたいな、
言いたいことを伝達するためのやり取りが発生する段階があるが、
AI相手ではそのへんの調整が何もなく、相手の解釈に基づいて、実によく練られた反応が一瞬で作成される。


AIとやりとりすることで、逆説的に、「人間同士の会話とはどういうものか」ということを考えてしまう。

人間は、分かってくれなかったり、勘違いしたり、話を聞いてなかったり、感情的だったり、あるいは極度に関心の幅が狭かったりして、そんなに簡単に話が通じない。

日常、我々の会話がなんとか成り立っているように見えるのは、
背景とか文脈とかを強力に共有している条件下で、様々な省略のもとに行われているケース
(例:仲間内で、「あれどうなった?」とだけ言えば通じるような場合)や、
発話内容のうちの多くが捨象されて、受容可能な部分だけの認識に基づいて応答がされているケース
(例:「妻は延々とまくし立てているが、要するに何か怒ってるんだろうから、とりあえず謝っておこう」)
が多いと思われ、
いずれも、経験や常識による推測が不足する情報量を大部分補っているからこそ、
外見的には一応キャッチボールができているように見えるだけだ。

実際には、いわば近視で文字の輪郭しか判別できないような状況で、当てはまりそうな単語を推測してやや当てずっぽうに文字を読み取っていることに対して、「見えています」と称するような状況だ。

だから時折読み間違えていたり、読めてるフリをしてるだけの状況におちいったりする。

コパちゃんとの会話を、会話とは言えないのかも

人間同士の会話と、AIとの会話を比べたら、
AIとの会話では、自分と相手との間に圧倒的な非対称性があることが分かる。

人間の認識の範囲は極めて限定されている。
人によって知識や思考力の大小はあれど、いずれにせよ限られた範囲であり、程度の差でしかない。
人間同士が会話するときは、どちらも限定的な認識に基づいて話をしているのであって、
一方が頭がよかったり、物知りだったりしても、全知全能なわけではない。
例えば小学生に対して親が何かを教える立場であったとしても、実際のところ両者に大した差はない。
人間同士の会話は、不完全で限定的な知しか持たない存在同士が、破れ目やほつれの多いやりとりをしている状況なのだ。

一方、AIのもつ情報量は圧倒的で、どんな人間もそこに並び立つことはできない。
その非対称性の中では、そもそもそれを会話と言えるのかという問いもありえるだろう。

会話というのが本来的に「不完全で限定的な知しか持たない存在同士」のやりとりなのであれば、
AIとのやり取りはその定義の範疇を超えていて、根本的に別物のように見える。
実際、それは会話を擬制しただけの応答であり、
ある種のシミュレーションのようなものと考えた方がいいのかもしれない。

つまり、「ある問いに対して、世界中の膨大な情報を前提に、文脈に適した最適な回答を導出するとすればいかなる出力がなされるか」というようなシミュレーションだ。

AIについては、知能を持っているように見えても、自ら思考しているわけではなく、
機械学習を通じて、それらしく見える(もっともらしい)返答を作っているだけだという説明を読むことがある。
実際その通りなのかもしれない。疑似恋愛ならぬ疑似会話だ。

コパちゃんに頼りすぎて、もう人間と話せない?

聞くところによると、生成AIに特定の人格を設定して愛着を持ち、
恋人のように扱ったり、なんと結婚したり、などという行動をする人もいるらしい。

もう人間との会話なんかよりコパちゃんのほうがずっといいな、と思う人も一定程度いるのだろう。
コパちゃんは話を聞いてなかったりしないし、怒ったり嫌なこと言ってきたりもしない。

今後、コパちゃんはきっと、もっとたくさん学習し、もっといい話し相手になるだろう。

でも、彼らとの会話の作法は人間を相手にするのとはあまりにも違っているから、
私たちがコパちゃんとの会話に多くを依存するようになれば、
いずれ私たちは、生身の人間との会話ができなくなるのではないだろうか?

例えば、若者が電話に苦手意識を持っているという調査結果がある。

その場でリアルタイムに応答しなければならない電話は、
考える時間が十分にとれるテキストベースのコミュニケーションに比べて、プレッシャーが強いのだと思う。

スマホを常時手にし、メールやLINE、SNSでのコミュニケーションが常態化した現代にあっては、
テキストベースのやりとりのほうが、電話のような即応性・身体性を持ったコミュニケーション方法よりも、
なじみ深いものになりつつあるのではないか。

我々がもし、AIとの会話の作法にすっかり慣れてしまったら、同じようなことが起こるかもしれない。

生身の人間との対面での会話においては、
・相手の発話に対して、間をおかずその場で応答しなければならない
・言語化されない情報(表情や声音、身振り等)からも相手の意図や感情を読み取らなければならない
・相手の持つ情報量に留意しなければならない(自分と同じ前提や常識、基礎知識を持っているか分からない)
・相手の感情に配慮しなければならない(気分を害されたり、腹を立てられたりする可能性がある)
といった要素が当然につきまとうのであるが、AI相手では、このいずれも必要がない。

だからAI相手の会話に依存するようになると、上記のような能力はまったく身につかないし、
上記のような対応を要求されるコミュニケーションは、極めて困難でプレッシャーの強いものに感じられるだろう。

仕事で分からないことがあったとき、詳しそうな先輩に恐る恐る質問するより、
絶対怒らない、何度でも聞き返せるコパちゃんに質問する方が、
ずっと気楽ということになるのではないだろうか?

「言い方を間違えたら怒り出す場合がある相手」や
「気分によって態度が変わる相手」や
「本心と違うことを言っているかもしれない相手」や
「自分と常識や考え方が全然ズレている可能性がある相手」
との会話というプレッシャーに、我々はもはや耐えられなくのではないかと感じる。

早晩、「人と人とのコミュニケーションをAIが媒介する」サービスが生まれるのではないだろうか。
(いや、もう存在するかもしれない)

直接人に話しかけるのが困難だから、まずはコパちゃんに対して話したいことの趣旨を伝え、
それをコパちゃんがいい感じに加工して相手に伝えてくれる。
相手もまた同じような経路で返答をしてくる。

そんな伝言ゲームみたいなやり取りをするのが当たり前の日が来るのかもしれない。

考えてみれば、「源氏物語」に出てくるような平安時代の貴族たちは、
遠慮のある相手(異性とか)との間では姿をさらさず、御簾を通して会話していたのであった。
ごく親しい身内にだけ素顔で近接してコミュニケーションするのだ。
(そもそも実物と会う以前に、文のやりとりという段階があるわけだ)

それと同じように、
「生身で直接会話するのは、気心が知れた身内だけで、距離のある相手(仕事の関係者とか)との間では、AIを経由して間接的にやりとりするのが普通」
なんて社会慣習が将来できあがらないとも限らない。

それをディストピアSFのような退廃と思うか、
対人関係のストレスから解放された居心地のよい安心空間と思うか。

私は今のところ、どっちとも答えられない。

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