幼き日の記憶
私が子供のころ、
「お母さんはなぜ、私の身の回りにある固有名詞をしょっちゅう間違うのだろうか」
と不思議に思っていた。
たとえば、私の同級生に「新橋くん」(仮名)というのがいた。
彼のことを話題に出すとき、母は必ず、
「えーと、なんだっけ。…丸の内くん?」
などと言っていた。
「いや、新橋だから」
と毎回、私は訂正した。
たぶん母の頭の中では、新橋くんの名は
「なんか東京の有名な地名っぽい名前」
としてインプットされていたのだろう。
また、私の高校の教師が、山田(仮名)という名前だった際には、
母は、先生の名前に言及する場面になると、決まって、
「山田耕作先生」
といっていた。
山田先生の名前は耕作ではなかった。
「山田耕作」(注:作曲家)という著名人の名前に紐づけないと、山田という名字が出てこないのだそうである。
「いや、耕作じゃないから」
と、何度も訂正するのであるが、
「なんか、覚えられないんだよね。テヘ」
みたいな雰囲気で、我が母ちゃんは毎回、悪びれもせず、「山田耕作先生」と言い続けていた。
子どものワタクシは、母ちゃんのおふざけなのだろう、くらいに思っていた。毎回おんなじこと言ってて飽きないのかな、みたいなことを。
そして今
それから数十年(?)。
今ではワタクシが、母ちゃんである。
小学生の息子は、学校で、運動会のダンスの練習をしているようだ。
何の曲つかうの?と私が聞いたら、
「晴れの舞台」
だという。
母ちゃんの常として、最近の曲のことはさっぱり分からない。
しかし、母ちゃんもYouTube検索くらいできるので、調べてみる。
「リトル・グリー・モンスター」通称リトグリによる曲で、駅伝大会のテーマソングだったらしい。
なるほど、運動会にふさわしいミュージックだ。
さて、数日後、私は息子とまたその話をした。
「運動会の曲さ、えーと…、なんだっけ」
と、私は言いながら、そのタイトルを思い出そうとした。
——なんか、スポーツのテーマソングなんだったよな。
——勝負の舞台で、活躍するみたいな、晴れがましい感じのタイトルで…
と考えながら、ついポロっと、
「なんだっけ…「栄光の架橋?」」
などと言っていた。
「いや違うよ、何それ。晴れの舞台だよ」
即座に息子から否定される。そりゃそうだ。まったくかすってもいない。
2016年生まれの息子が、2004年アテネオリンピックのテーマソングを知るわけもないのである。
伸身の新月面が描く放物線なんか見たことないよな、そうだよな。…うむ。
ちなみに、運動会では、それとは別に、入退場の曲で
YOASOBIの「 舞台に立って」も使われるのだそうである。
パリオリンピックのテーマソング。
数日後、私は息子とまた運動会の話をした。
入退場曲のことを聞こうと思った。
——オリンピックのテーマソングなんだったよな。
——そうそう、晴れやかな勝負の舞台で、活躍するみたいなタイトルで…
結局、私はまた同じことを言っていた。
「なんだっけ…栄光の架橋じゃなくて…」
「いや違うよ。「舞台に立って」!!」
結論
母ちゃんはなぜいつも間違えているのか。
その答えは、「かあちゃんだから」としか分からなかった。
決して、ふざけているわけではなかった。
どういうわけか、かあちゃんの頭はそういう仕様になっているのである。
きっと、子供が親の間違いを、「違うよ!」と正す過程を通じて、子供の発達を促すための、愛情深い仕様なのだろう。
うむ。きっとそうに違いない。きっと。


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